海外「日本のホラーはなぜこんなに違うの?」Jホラーの怖さはどこから来た?

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『リング』や『呪怨』のように、逃げてもなかなか終わらない呪い。

何かが大きな音を立てて襲ってくるわけでもないのに、「そこにいる」だけで妙に落ち着かない幽霊。

日本のホラーを見慣れていると意識しないかもしれませんが、海外の人には、この怖がらせ方そのものが少し変わって見えることがあるようです。

海外掲示板Redditの日本ホラーコミュニティでは、日本のホラーに出会ってからホラー作品そのものの好みが変わったという方が、

日本の文化や歴史の何が、こうした恐怖の捉え方につながったのでしょうか?

と質問していました。

Why is japanese horror so different?
by u/Decent_Meal9257 in J_Horror

投稿者が気になっているのは映画だけではありません。

アニメや漫画、さらに日本人アーティストによる絵画や彫刻まで見て、「西洋のホラーとは違うところから恐怖をつかんでいるように感じる」といいます。

コメント欄では、怨霊や宗教観から、映画の演出技法、都市伝説、漫画、さらには「そもそも西洋ホラーだって一つではない」という反論まで、かなり幅広い話が出ていました。

では、私たちが今「Jホラーらしい」と感じている怖さは、どこから来たのでしょうか。

調べてみると、どうやら一つの答えでは説明できないようです。

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まず、「日本のホラー」を一つにまとめていいの?

スレッドでは、最初からこんな指摘も出ています。

何と比べて違うの?

国や社会、文化が違えば、映画や音楽、食べ物なんかも違ってくる。気になるテーマがあるなら、そこから掘っていったほうがいいと思う。
ーu/jaembers

これは大事な指摘です。

ひと口に「西洋ホラー」といっても、アメリカ、フランス、イタリア、イギリスのホラー映画が同じというわけではありません。

同じように、「日本ホラー」にも一つの源流があるわけではありません。

映画研究でいう「Jホラー」は、一般には1990年代から2000年代にかけて広がった日本のホラー映画群を指し、『リング』や『呪怨』などが代表的な作品として挙げられます。京都大学の宮本法明によるJホラー史の研究でも、この時期を中心に整理されています。

しかも、「日本文化だけから生まれた」と考えるのも単純すぎるようです。

早稲田大学大学院の森田典正さんが2024年に発表した研究では、Jホラーは歌舞伎や浮世絵など日本の文化的蓄積と結びつけて説明されることが多い一方、実際の作品には海外の古典的な心理ホラー映画からの影響も強く見られると指摘されています。

海外から見ると「とても日本的」に見えるものの中に、海外映画から吸収した表現も入っている。

最初から、少し話が複雑になってきます。

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「答えは小中理論」――現代Jホラーには“怖がらせ方”の理論があった

Redditでは、「日本ホラーがなぜ違うのか」という質問に対して、「小中理論」という言葉を挙げる人がいました。

小中理論とは、脚本家の小中千昭が、映像で恐怖を作る方法を整理したものです。

小中は『邪願霊』をはじめ、のちのJホラーにつながる作品に関わってきた脚本家で、河出書房新社も著書『恐怖の作法 ホラー映画の技術』で、Jホラー作品群の「イデオローグ的な存在」と紹介しています。

小中が重視したのは、瞬間的に驚かせる「ショック」と、あとまで残る「恐怖」は同じではない、という点でした。

早稲田大学の研究では、小中が目指した「ファンダメンタル・ホラー」について、残酷な映像や一瞬のショックそのものより、登場人物が感じる恐怖を観客にも共有させ、長く残る不安を作ることが重視されていたと整理されています。

たとえば、恐ろしいものを見た人物に大声で叫ばせるのではなく、その場で凍りつくように反応させる。

幽霊を単純に「怪物」として見せるのではなく、何かがおかしいという準備を重ねていく。

そうした経験則を言葉にしていったのが、小中理論でした。

興味深いのは、これが何百年も前から続く「日本人特有の恐怖感覚」ではなく、現代の映像制作者たちがかなり意識的に作り上げていった技法だということです。

そして、小中理論を守ればJホラーになる、という話でもありません。

Jホラー史を扱った研究では、中田秀夫や黒沢清らの作品に小中理論の影響が見られる一方、『呪怨』の清水崇のように、その型から外れる表現を試みた作家もいたとされています。

私たちが何となく「Jホラーっぽい」と感じている映像には、作り手たちが試行錯誤して作った文法も混ざっているようです。

では、その前の日本に幽霊はいなかったのか

もちろん、そんなことはありません。

むしろ、さらに古いところまで遡ることができます。

Redditの長文コメントでは、日本のホラーには「恨みを残した死者」や「簡単には止められない災い」という考え方が影響しているのではないか、という意見が出ていました。

ただし、これを「神道では恨みを持った人が幽霊になる」と単純化するのは危険です。

日本の死者や怪異にまつわる考え方には、神道だけでなく、仏教や民間信仰、御霊信仰、怪談、舞台芸術などが長い時間をかけて重なっています。

その一つが「御霊(ごりょう)」です。

國學院大學が『神道事典』をもとに英語で公開しているオンライン事典『Encyclopedia of Shinto』によると、御霊とは、災害や疫病をもたらすと恐れられた霊的存在で、失脚した人物の霊などもその中に含まれていました。

こうした御霊を鎮めて送り出すための儀礼が行われる一方、祀り続けることで、その恐ろしい力を人々を守る力へ変えようとする例もあったそうです。

「怖いものだから倒す」というより、「鎮める」「祀る」という方法で向き合う考え方もあったわけです。

もちろん、これをそのまま『リング』や『呪怨』へ直結させることはできません。

ただ、「恨みを残した死者が、生きている人間の世界に災いを及ぼす」というイメージは、かなり古くから日本の物語に現れています。

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お岩さんも、200年前から恨みを残していた

歌川豊国《「東海道四谷怪談」お岩の幽霊を演じる尾上松助》(1812年)

分かりやすい例が『東海道四谷怪談』です。

四代目鶴屋南北による歌舞伎で、1825年に江戸の中村座で初演されました。

国立劇場の解説によると、夫の伊右衛門に裏切られたお岩が恨みを残して亡くなり、その後、幽霊となって伊右衛門を苦しめる物語です。

舞台では、お岩の幽霊を見せるために「提灯抜け」や「戸板返し」など、さまざまな仕掛けも考案されました。

江戸時代の時点ですでに、「どのように幽霊を怖く見せるか」という演出の工夫まで行われていたことになります。

米国スミソニアン協会の国立アジア美術館によると、江戸時代には能や歌舞伎の舞台で幽霊や怪異が表現され、それらは浮世絵や絵本にも描かれました。同館の展覧会では、こうした版画表現と、人々が超自然的なものをどのように想像してきたのかという関係が取り上げられています。

貞子がそのままお岩の子孫、というような単純な話ではありません。

それでも、「恨みを残した死者」と「それをどう見せれば怖いのか」という二つの問題を、日本の娯楽が長く扱ってきたことは確かなようです。

Jホラーでは、幽霊がビデオや電話に入ってきた

時代を1990年代へ戻します。

Jホラーで特徴的なのは、昔ながらの幽霊が、古い屋敷や墓場だけに出てくるわけではないことです。

テレビ。

ビデオテープ。

電話。

パソコン。

その時代にはごく身近だった機械の中へ、怪異が入り込んできました。

Redditにも、こんなコメントがあります。

まず、ジャンプスケアが少ないと思う。

それに『呪怨』や『リング』の呪いは、直接でも間接でも、触れたことで広がっていくウイルスみたいに振る舞うことが多い。そこがすごく不気味なんだ。
ーu/No_Secret8533

ジャンプスケアとは、突然の映像や大きな音などで観客を驚かせる演出です。

『リング』で恐怖を運んでくるのは、呪われたビデオテープです。

英国映画協会(BFI)も、『リング』が当時の日常に入り込んでいたVHSというメディアそのものを恐怖へ変えた作品として取り上げています。

京都大学の藤原萌さんによる2024年の研究では、電話やビデオテープなどのメディアを恐怖の伝播に利用する作品が多いことから、Jホラーは「メディア・ホラー」として論じられてきたと説明されています。

しかも、使われるメディアは時代とともに変わります。

黒沢清監督の『回路』(2001年)では、まだ家庭への普及途上にあったインターネットやパソコンが、生者と死者の境界を崩すものとして登場しました。

BFIはこの作品について、インターネットという「新しい世界への入口」を、死者が生者の世界へ入ってくる入口へ反転させた作品だと紹介しています。

昔からいる幽霊が、その時代で一番新しい機械の中から現れる。

古い怪異と新しい日常が一緒になっているところも、Jホラーの妙な居心地の悪さの一つなのかもしれません。

「倒せば終わる」とは限らない

Redditで目立ったのが、日本のホラーは「怪異を倒して問題を解決する」物語にならないことが多い、という指摘でした。

確かに『呪怨』では、呪いの仕組みを知ったからといって、それだけですべてが元に戻るわけではありません。

ただし、「西洋ホラー=怪物を倒す、日本ホラー=どうにもならない」と分けてしまうと乱暴です。

早稲田大学の森田典正さんの研究が興味深いのは、Jホラーが日本独自の伝統だけではなく、『The Innocents』や『The Haunting』など海外の古典的な心理ホラーにもつながっていると論じているところです。

作り手たちは海外映画を見ながら、日本の怪談や心霊文化、当時のテレビやビデオ文化と組み合わせていました。

日本と海外が完全に別々の場所で、それぞれ独自のホラーを作っていたわけではないのです。

海外から取り込んだ表現が日本の中で組み替えられ、それが今度は「Jホラー」として海外へ渡っていった。

そう考えると、「なぜこんなに違って見えるのか」という最初の質問も、少し違って見えてきます。

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漫画まで「小中理論」で説明することはできない

最初の投稿者は、映画だけではなく漫画やアニメについても尋ねていました。

スレッドでは、手塚治虫と永井豪が日本の漫画・アニメへ与えた影響を挙げる長文コメントに対して、別の人から反論も出ています。

ホラー漫画には、楳図かずお、日野日出志、古賀新一、渡辺まさこなど、映画のJホラーとは別に追うべき作家や歴史があるという指摘です。

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実際、楳図かずおは『リング』よりはるか以前からホラー漫画を描いていました。

京都国際マンガミュージアムによると、楳図は1955年にプロデビューし、その後『へび少女』など数々のホラー作品を発表。「ホラー漫画の神様」と呼ばれるようになります。

「昔の怨霊文化があり、それがJホラーになり、そのままホラー漫画へ続いた」という一本の系譜ではありません。

映画には映画の歴史があり、漫画には漫画の歴史があります。

それらが互いに影響し合うことはあっても、日本で作られた怖い作品をすべて一つの理由で説明するのは難しそうです。

「奇妙で過激」な作品にも、また別の歴史がある

投稿者は、日本の作品について「ときどき自分には陰惨すぎたり、奇妙すぎたりする」とも書いていました。

これについても、怨霊だけでは説明できません。

1920年代後半から1930年代初頭の日本では、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれる文化的な流行がありました。

「エロティック」「グロテスク」「ナンセンス」を組み合わせた言葉で、文学や出版、都市の娯楽文化などに広がったものです。

この時代のエロ・グロ・ナンセンスについては、文学・文化史の研究対象にもなっており、1928年にはその名も『グロテスク』という月刊誌が東京で創刊されています。

もちろん、現代の過激なホラー作品がすべてここから直接生まれた、ということではありません。

ただ、日本のホラーを見て海外の人が感じる「幽霊とはまた別の奇妙さ」まで考えるなら、怪談だけを調べても全体像は見えてこないということです。

映画、怪談、漫画、都市文化、海外映画からの影響。

最初は一つの「日本ホラー」に見えていたものが、調べるほどいくつもの流れに分かれていきます。

日本のホラーは、なぜ違って感じるのか?

今回のRedditの質問に、一言で答えるのはやはり難しそうです。

古くから続く怪異や幽霊の表現がある一方、現在「Jホラー」と呼ばれる映画の怖さには、1980〜90年代の映像制作者たちによる試行錯誤や、その時代のテレビ、VHS、電話、インターネットも入り込んでいました。

さらに漫画には別の歴史があり、海外映画から受けた影響もあります。

「日本文化だから」で一つにまとめるより、いくつもの流れが重なった結果として見たほうが、どうやら実際の姿には近そうです。

古くからいる幽霊が、新しいビデオテープやパソコンの中から現れる。

日本のホラーがどこか見慣れているのに、同時にルールが分からないように感じられるのは、そんな古いものと新しいもの、国内と海外の表現が重なっているからなのかもしれません。

最初の投稿者は「もっとこのジャンルのことを知りたい」と書いていました。

調べ始めると、一つの答えにたどり着くというより、さらに別の入口が次々と見つかる話題のようです。

(最終更新日:2026年9月12日)

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小中千昭 著

今回の記事でも取り上げた「小中理論」を提唱した脚本家・小中千昭自身が、映画で人はなぜ恐怖を感じるのか、怖い物語はどのように作られるのかを掘り下げた一冊です。

『リング』『呪怨』など現代Jホラーの恐怖表現にも触れながら、瞬間的な驚きとは違う「あとまで残る怖さ」を、作り手の側から考えています。

日本ホラーの歴史を年代順に紹介する本というより、「そもそも映像で恐怖を作るとはどういうことなのか」を知りたい人に合う内容です。

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