トロイの遺跡。
ツタンカーメンの墓。
今では歴史の教科書や博物館でおなじみの存在ですが、発見される前は、長いあいだ地中のどこかに眠っていました。
では現代にも、同じような「大発見を待っているもの」は残っているのでしょうか?
どうやら海外でも気になっている方がいたようで、海外掲示板Redditの考古学コミュニティでも、
トロイやツタンカーメンの墓のような発見を考えています。
今でも、ただ発見されるのを待っているような大発見はありますか?
という質問が投稿されていました。
What are some significant sites or objects that are believed to still exist somewhere, but haven’t yet been conclusively found?
by u/Kurma-the-Turtle in Archaeology
コメント欄には、アレクサンドロス大王やチンギス・ハンの墓から、行方不明になった北京原人の化石、世界最初期の帝国の首都まで、さまざまな名前が挙がっています。
「まだ見つかっていない」といっても、実在したことはほぼ確実なのに場所が分からないもの、かつて所在が知られていたのに失われたもの、戦争の混乱で消えたもの、伝承そのものが検討されているものまであるようです。
今回は、その中からいくつかを見ていきます。
アレクサンドロス大王の墓

何度も名前が挙がっていたものの一つが、アレクサンドロス大王の墓でした。
アレクサンドロス大王の墓。
現代の大都市アレクサンドリアの地下のどこかにあると考える人もいる。都市環境と地下水位の高さのせいで、発掘できる場所がかなり限られているのが残念だね。
ーu/Fallawake88
紀元前323年に亡くなったマケドニア王アレクサンドロス大王の遺体は、その後エジプトへ運ばれ、最終的にアレクサンドリアへ移されたと考えられているそうです。
この話は後世の推測だけではなく、ストラボンやパウサニアスなど、古代ギリシャ・ローマ時代の著述家が残した記録にもとづいています。
米国の一般向け考古学誌『Archaeology Magazine』では、こうした古代史料をもとに、遺体はいったんエジプトのメンフィスに置かれ、その後、紀元前298〜283年ごろまでにアレクサンドリアへ移されたと整理しています。

墓が当時実際に知られていたことを示す記録も残っています。
2世紀ごろのローマの著述家スエトニウスは『ローマ皇帝伝』の「アウグストゥス伝」で、エジプトを征服したアウグストゥスがアレクサンドロスの棺と遺体を見て、花を供え、黄金の冠を載せたと記しています。
ところが、その後の記録を追っていくと、どうやら墓の位置は分からなくなり、現在まで特定されていません。

ここでいうアレクサンドリアは、現在のエジプト北部、地中海沿岸にある同名の大都市です。
エジプト観光・考古省によると、古代の王宮地区があった東港の一部は、現在では地中海の海中に沈んでいます。
また、エジプト政府がUNESCO世界遺産センターへ提出したアレクサンドリアの資料でも、現在の都市はアレクサンドロス大王とプトレマイオス朝の都市の遺構の上に築かれていると説明されています。
海中に沈んだ場所もあれば、現在の市街地の下に残っている場所もあるため、古代都市を自由に発掘できるわけではありません。
一方、アレクサンドロスが創建したとされる別の都市については、近年かなり具体的な姿が見えてきました。
現在のイラク南部、イラン国境から約15キロのジェベル・ハイヤベルでは、ドイツのコンスタンツ大学のシュテファン・ハウザー教授らと、英国の考古学者による研究チームが調査を続けています。
ここは、古代の記録に登場する「ティグリス川のアレクサンドリア」、後のスパシヌ・カラックスにあたると考えられている場所です。
遺跡自体は1960年代に航空写真から候補地として指摘されていましたが、本格的な考古学調査が始まったのは2016年からでした。
研究チームは、地表に残る遺物を記録する調査に加え、数千枚のドローン画像や航空写真、地中に埋まった建物などによるわずかな磁気の違いを測る地球物理探査を使って、都市の構造を調べています。
その結果、街路や大規模な住宅区画、神殿、工房、運河などが確認され、かつてここに大規模な計画都市が広がっていたことが分かってきたそうです。
王の墓は今も場所が分かりませんが、彼が創建したとされる都市の一つでは、近年の調査によって街の具体的な構造まで見えるようになってきています。
チンギス・ハンの墓

次に挙がったのが、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンです。
チンギス・ハンの墓。
ーu/scootarded
チンギス・ハンは1227年に亡くなりましたが、その埋葬地は現在も確認されていません。
候補としてよく名前が挙がるのが、モンゴル北東部のヘンティー山脈にあるブルカン・カルドゥンです。
国連教育科学文化機関のユネスコ(UNESCO)の世界遺産資料でも、この山はチンギス・ハンと強く結びつく神聖な土地であり、伝承上の埋葬地として紹介されています。ただし、ここに墓があると確認されたわけではありません。

ブルカン・カルドゥンでは、山そのものが信仰の対象になっています。ユネスコによれば、礼拝以外の活動を禁じる伝統もあり、周辺は保護区域として管理されています。
そのため、候補地だからといって大規模に掘り返せる場所ではありません。
そこで、別の方法による探索も行われてきました。
米国のカリフォルニア大学サンディエゴ校で研究していたアルバート・ユー=ミン・リンは、ナショナルジオグラフィック協会の支援を受け、「Valley of the Khans」プロジェクトを実施しました。
衛星画像や無人航空機、地中レーダーなどを使い、地面を掘り返さずに周辺を調査する方法です。一般の人にも高解像度の衛星画像を見てもらう大規模な参加型調査も行われました。
遺物や人工的な構造の可能性がある場所はいくつか確認されていますが、チンギス・ハンの墓と断定できるものは現在も見つかっていません。
世界最初期の帝国、その首都アッカドはどこにある?

墓ではなく、都市そのものが見つかっていない例もあります。
アッカド。アッカド帝国の首都。
ーu/thunder_blue
アッカド帝国は、紀元前3千年紀にサルゴン王によって築かれた古代メソポタミアの帝国です。
現在のイラクを中心とした広い地域を支配したことから、「世界最初の帝国」と呼ばれることもあります。
ところが、その首都アッカド、別名アガデがどこにあったのかは、現在も特定されていません。
都市の存在自体は、古代メソポタミアの文書から確認できます。
米国の一般向け考古学誌『Archaeology Magazine』が2024年に取り上げた記事によると、アッカドの場所は後世まで知られており、紀元前6世紀のバビロニア王ナボニドゥスは、アッカドにあった神殿の遺構を修復したと記しているそうです。

現在の有力な範囲は、イラクの首都バグダッドから、その北にあるサーマッラーまでのティグリス川沿いです。
古代メソポタミアを研究するアッシリア学者ネレ・ツィーグラーは、バグダッドからおよそ80キロ北、アダイム川とティグリス川が合流する付近に注目しています。
紀元前18世紀の文書に、別の都市から移動した一行が途中でアッカドに立ち寄った記録があり、すでに場所が分かっている都市との位置関係から、おおよその範囲を推測できるためです。
ただ、手掛かりはまだ限られています。
さらにティグリス川は数千年の間に流路を変えています。遺跡の一部がすでに川によって削られたり、堆積物の下に埋もれたりしている可能性も考えられているそうです。
北京原人は「発掘された化石」そのものが消えた

北京原人の化石も挙がりました。
周口店で最初に発見された「北京原人」の化石。
第二次世界大戦中に行方不明になり、その後回収されていない。
ーu/Gnome_de_Plume
北京原人は、現在の北京市中心部から南西へおよそ50キロにある周口店で発見された古人類の化石です。
現在ではホモ・エレクトスに分類されており、米国の博物館・研究機関であるスミソニアン協会は、周口店で見つかった個体をおよそ78万〜40万年前のものとしています。
この場所自体は失われていません。問題になっているのは、1920〜30年代に発掘されたオリジナルの化石です。
第二次世界大戦中の1941年、化石を戦火から守るため、北京協和医学院から米国へ移送する計画が立てられました。
スミソニアンの解説によると、化石は箱に詰められ、米海兵隊を通じて運び出される予定でしたが、1941年12月を最後に行方が分からなくなりました。
幸い、行方不明になる前に研究者フランツ・ワイデンライヒらが精密な鋳型や詳しい記録を残していました。そのため研究そのものが不可能になったわけではなく、戦後の周口店でも新たな化石が発見されています。
それでも、最初期に発掘されたオリジナルの化石は現在も見つかっていません。
ここでは、まだ地中に眠っているものを探しているのではなく、一度人の手に渡った化石の行方を追っていることになります。
ナチスに奪われ、そのまま消えた「琥珀の間」

考古学というより、美術品・文化財に近いものもありました。
皇帝の「琥珀の間」。ナチスに略奪され、その後一度も回収されていない。
ーu/shanvanvook
「琥珀の間」は、壁面を大量の琥珀や金で装飾した部屋です。
18世紀初めにプロイセンで作られ、その後ロシアへ贈られました。最終的には、現在のサンクトペテルブルク郊外にあるエカテリーナ宮殿に置かれていました。
第二次世界大戦中の1941年、ナチス・ドイツ軍が宮殿を占領すると、琥珀のパネルなどを取り外して持ち去りました。
米国宝石学会(GIA)が2018年にまとめた資料によると、装飾は27個の箱に収められ、当時ドイツ領だったケーニヒスベルクへ鉄道で運ばれています。現在のロシア領カリーニングラードです。
ケーニヒスベルク城では一度展示されましたが、戦争末期に再び箱詰めされたあと、行方が分からなくなりました。
現在もさまざまな説があります。
米国チューレーン大学でロシア建築やスラヴ文化を研究するウィリアム・ブラムフィールド教授は、HISTORYの取材に対し、琥珀のパネルはケーニヒスベルクへの爆撃などで焼失した可能性があるとの見方を示しています。琥珀は高熱に弱いためです。
ただし、これは確定した結論ではありません。別の場所へ運び出されたという説もあり、捜索は現在まで続いています。

現在エカテリーナ宮殿で見ることができる「琥珀の間」は、残された写真や資料などをもとに再建され、2003年に完成したものです。
この場合は、隠し場所が分からないだけでなく、探しているものが今も残っているのかどうかも分かりません。
クレオパトラとアントニウスは、本当に同じ墓に眠っている?

エジプトからは、もう一つ有名な名前が出てきました。
マルクス・アントニウスとクレオパトラの埋葬場所。
おそらく一緒に埋葬された。
ーu/myrainydayss
紀元前30年に亡くなったクレオパトラ7世と、ローマの将軍マルクス・アントニウス。
二人が同じ墓に葬られたという話には、古代史料があります。
1〜2世紀のギリシャ人著述家プルタルコスは『アントニウス伝』で、ローマのアウグストゥスがクレオパトラの遺体をアントニウスとともに「立派で王にふさわしい形で」葬るよう命じたと記しています。
ただ、その墓がどこなのかは書かれていません。
多くの考古学者は、クレオパトラが生まれ、王宮を構えていたアレクサンドリアの王宮地区付近に葬られたと考えています。
一方、別の可能性を追っているのが、ドミニカ共和国出身の考古学者キャスリーン・マルティネスです。
マルティネスが有力候補として調査しているのが、アレクサンドリアから西へ約45キロ離れた古代都市タポシリス・マグナです。ただし、この場所をクレオパトラの墓の候補とする説は、考古学者の間で広く一致している見方ではありません。
マルティネスが率いるエジプト・ドミニカ合同調査隊は、2005年からこの地域で調査を続けています。
2025年には、マルティネスと、タイタニック号などの深海調査でも知られる海洋探査者ロバート・バラードらのチームが、タポシリス・マグナ沖の海中で柱や錨、アンフォラと呼ばれる古代の壺などを確認し、古代の港とみられる遺構を報告しました。
CNNの記事:古代エジプトの水没した港を発見、クレオパトラの失われた墓と関係か
この発見によって、タポシリス・マグナがクレオパトラの時代にも海上交通と結びついた重要な場所だったことは、これまでより具体的に見えてきました。
ただし、それがクレオパトラの墓の存在を示したわけではありません。
墓の場所は、現在も確認されていません。
5万人の軍隊が砂漠で消えた? カンビュセス2世の「失われた軍隊」

今回の中では、少し事情が異なるものです。
カンビュセスの失われた軍隊。
ヘロドトスによれば――だから事実とは限らないけど――紀元前524年、5万人のペルシア兵がエジプト西部の砂漠で砂嵐に巻き込まれて消えた。
カンビュセス2世がシワ・オアシスのアメン神託所を服従させるために送り出した軍隊だった。
ーu/Paffy85
この話の出発点は、紀元前5世紀のギリシャ人歴史家ヘロドトスです。
『歴史』の中でヘロドトスは、ペルシア王カンビュセス2世がエジプト西部へ大軍を送り、その部隊が目的地へ到着せず、帰還もしなかったと記しています。
さらに「現地の人々が語るところでは」と前置きしたうえで、激しい砂嵐によって軍隊が埋め尽くされたという話を伝えています。
つまり、砂嵐そのものをヘロドトスが直接確認したわけではありません。
この記述をもとに、19世紀以降、砂漠の下に兵士や武器が残されているのではないかと多くの人が探してきました。
ところが2014年、オランダのライデン大学でエジプト学を研究するオラフ・カーパーが別の説を発表しました。

きっかけになったのは、エジプト西部のダフラ・オアシスにあるアムヘイダ遺跡です。
米国ニューヨーク大学の古代世界研究所が参加する発掘調査で、ペルシア支配に反乱を起こしたファラオ、ペトゥバスティス3世の名を記した神殿の石材が見つかりました。
カーパーはこの碑文とヘロドトスの記述などを組み合わせ、カンビュセスの軍隊は砂嵐で消えたのではなく、ペトゥバスティス3世の反乱軍との戦闘で敗れた可能性を提示しています。
もちろん、これも一つの研究上の解釈であり、軍隊の最期が確定したわけではありません。
ただ、この説が正しければ、探す場所だけではなく、「砂漠に消えた5万人の軍隊」という探し物の姿そのものを見直す必要が出てきます。
「未発見」にも、いろいろある
今回のスレッドに挙がったものは、それぞれ事情がかなり違いました。
アレクサンドロス大王の墓やアッカドは、古代の記録から存在をたどることができるものの、現在の場所が分かっていません。
北京原人の化石は、一度発掘されたものが戦争中に行方不明になりました。
琥珀の間は、今もどこかに残っているのか、それとも戦争中に失われたのかさえ確定していません。
カンビュセスの軍隊については、そもそも「砂嵐で消えた」という伝承の読み方自体が研究対象になっています。
現在では衛星画像、ドローン、地中レーダー、磁気探査、海中調査など、以前にはなかった方法も使えるようになりました。
その一方で、現在の大都市の地下にある場所や、ブルカン・カルドゥンのように神聖視されている土地もあります。
トロイやツタンカーメンの墓ほど大きな発見が、これから本当にあるのかは分かりません。
次の発見が、すでに誰かの足元に眠っているのか。
それとも、今探している場所とはまったく違うところから出てくるのか。
まだ答えの出ていない場所は、かなり残っているようですね。
(最終更新日:2026年9月12日)
この記事に関連するおすすめ書籍
『もっと深く知る 最新考古学でわかる古代文明 上』
関雄二 編著/三宅裕・常木晃・津本英利・河合望・小茄子川歩・中村慎一 著
最新の考古学研究から、古代文明についてこれまで当たり前だと思われてきた見方をあらためて考える一冊です。
メソポタミア、ヒッタイト、古代エジプト、インダス、中国などを取り上げ、遺跡や出土資料からそれぞれの文明がどのような社会だったのかを紹介しています。
今回の記事では未発見の遺跡や墓を取り上げましたが、実際の考古学では、新しい遺跡を探すだけでなく、古代の記録を読み直したり、すでに知られている遺跡を新しい調査方法で調べたりすることで、見えてくるものもあります。
現在の考古学が古代文明をどのように調べているのか知りたい方にもおすすめです。
参考情報と翻訳元
- Reddit「What are some significant sites or objects that are believed to still exist somewhere, but haven’t yet been conclusively found?」 — r/Archaeologyに2024年6月に投稿されたスレッド。記事で取り上げた海外コメントの翻訳元。
- Archaeology Magazine「Lost Tombs — Alexander the Great, King of Macedon」 — 米国の考古学団体Archaeological Institute of America(AIA)が発行する一般向け考古学誌。パウサニアスなどの古代史料に基づく、アレクサンドロス大王の遺体の移送、アレクサンドリアの墓、その後の所在不明について確認。
- スエトニウス『ローマ皇帝伝』「アウグストゥス伝」 — アウグストゥスがアレクサンドロス大王の棺と遺体を見たという古代の記録の確認に使用。
- エジプト観光・考古省「Eastern Harbor」 — 現在のアレクサンドリア東港に、古代の王宮地区を含む海中遺跡が残っていることの確認に使用。
- UNESCO World Heritage Centre「Alexandria, ancient remains and the new library」 — エジプト政府が世界遺産暫定一覧表として提出したアレクサンドリアの資料。現在の都市が古代都市の遺構の上に築かれていることや、陸上・海中に古代遺構が残ることの確認に使用。
- コンスタンツ大学「Alexandria on the Tigris – the forgotten metropolis」 — シュテファン・ハウザー教授らによるティグリス川のアレクサンドリアの調査、航空写真、ドローン、地表調査、地球物理探査と、その結果確認された都市構造について確認。
- UNESCO「Great Burkhan Khaldun Mountain and its surrounding sacred landscape」 — ブルカン・カルドゥンの位置、チンギス・ハンとの伝承上の関係、神聖な土地としての保護と慣習について確認。
- National Geographic Education「Dr. Albert Yu-Min Lin」 — アルバート・ユー=ミン・リンによる、衛星画像などを利用したチンギス・ハンの墓探索について確認。
- National Geographic「Genghis Khan’s burial place is a mystery. Can modern science solve it?」 — チンギス・ハンの埋葬地が現在も特定されていないこと、ブルカン・カルドゥン周辺の調査と非破壊的な探索について確認。
- Archaeology Magazine「Capital of the World’s First Empire」 — アッカドの存在を示す古代史料、現在考えられている位置、古代メソポタミア研究者ネレ・ツィーグラーによる検討、ティグリス川の流路変化について確認。
- Smithsonian Human Origins Program「Zhoukoudian」 — 北京原人の年代と分類、オリジナルの化石が第二次世界大戦中に行方不明になったこと、鋳型や記録が残っていることの確認。
- Smithsonian Magazine「The Mystery of the Missing Hominid Fossils」 — 1941年に北京原人の化石が米国へ移送される途中で行方不明になった経緯の確認。
- Gems & Gemology「The History and Reconstruction of the Amber Room」 — 琥珀の間の成立、ナチス・ドイツによる略奪、ケーニヒスベルクへの移送、その後の消失と再建について確認。
- HISTORY「WWII Mystery: What Happened to Russia’s Amber Room?」 — ウィリアム・ブラムフィールド教授による、爆撃・火災で失われた可能性についての見解を確認。
- プルタルコス『アントニウス伝』 — アウグストゥスがクレオパトラをアントニウスとともに葬るよう命じたという古代史料の確認に使用。
- National Geographic「Ancient port from Cleopatra’s time found underwater in Egypt」 — 多くの考古学者がクレオパトラの埋葬場所をアレクサンドリアの王宮地区付近と考えていること、キャスリーン・マルティネスが別の仮説としてタポシリス・マグナを調査していること、2025年に報告された海中の古代港について確認。
- ニューヨーク大学 Institute for the Study of the Ancient World「Amheida excavations find new evidence on Cambyses’ army」 — アムヘイダ遺跡の発掘、ペトゥバスティス3世の神殿資料、オラフ・カーパーによるカンビュセス軍への新解釈について確認。
- ヘロドトス『歴史』第3巻 — カンビュセス2世が西部砂漠へ軍を送り、砂嵐で消えたという伝承を記した古代史料として確認。
- Archaeology Magazine「Egyptologist Locates King Cambyses’s “Missing” Army」 — オラフ・カーパーが、カンビュセスの軍隊は砂嵐で消えたのではなく、反乱勢力に敗れた可能性を提示していることの確認。
- NHK出版『もっと深く知る 最新考古学でわかる古代文明 上』 — 関連書籍の著者、発売日、内容の確認に使用。


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