海外「日本人は昔からミニマリストだった?」1885年の日本家屋から“こんまり”まで追ってみた

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「日本人がミニマリストだと思われているなんて、初めて聞いた」。

海外掲示板Redditで、日本の「ミニマリズム」をめぐる質問に、日本人だと名乗るユーザーがこんな反応をしていました。

話のきっかけは、今から140年以上前に米国人が書いた日本家屋の本です。

なお、この記事でいう「ミニマリズム」は、20世紀の美術・デザイン運動としてのMinimalismではなく、持ち物や装飾を抑えた暮らしや、簡素に見える空間という一般的な意味で使います。

調べてみると、「日本=禅=物を持たない暮らし」という単純な話ではありませんでした。

日本には確かに簡素さを重んじる美意識があります。ただ、それと「普通の日本人が物を持たずに暮らしている」ことは、分けて考えた方がよさそうです。

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「日本人がミニマリスト? 初めて聞いた」

2024年12月、日本について日本人に質問する英語圏のRedditコミュニティ「r/AskAJapanese」に、こんな質問が投稿されました。

投稿者が取り上げたのは、米国の動物学者エドワード・S・モースが1885年に刊行した『Japanese Homes and Their Surroundings(日本の住まいとその周辺)』です。

投稿者はモースの主張を、「昔の日本の家に物が少なかったのは、日本人が反物質主義的だったからではなく、多くの人が貧しかったからではないか」と読み、

現在では、物でいっぱいになっている日本の家も多い。
モースは正しかったのだろうか? 西洋で考えられている「日本のミニマリズム」は誇張されている?

— u/RusticBohemian

と問いかけました。

これに、日本人だと名乗るユーザーから、

何を言っているのか、いまひとつ分からない。日本人がミニマリストだと思われているなんて初めて聞いた(笑)。

でも、人によると思う。物でいっぱいの家に住む人もいれば、物が多いのを嫌って、きれいに片づける人もいる。

— u/Healthy_Ant_1051

という反応がありました。

ここで興味深いのは、少なくともこのユーザーには、「ミニマリズムは日本人の特徴」という認識がなかったことです。

では、モースは本当に「日本人は貧しいから物を持てなかった」と書いていたのでしょうか。

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モースは「もっと物が欲しかった」とまでは書いていなかった

原著を確認すると、Reddit投稿の要約には少し飛躍があります。

モースが問題にしていたのは、外国人が日本家屋を西洋の住宅と同じ基準で評価していたことでした。

日本家屋の構造を批判する欧米の著述家について、彼は「日本人の立場から見ていない」と書き、当時の日本が貧しく、多くの人が貧困状態にあったことも考慮していないと指摘しています。

そのうえで、日本人は自分たちが経済的に建てられる範囲で、生活習慣や必要に適した家を建てていると説明していました。

つまり、モースが直接言っているのは、

「当時の経済条件を無視して、日本の住宅を西洋の基準だけで評価してはいけない」

ということです。

「日本人は本当はもっと家具や物を持ちたかったが、買えなかった」まで、この箇所で断定しているわけではありません。

なおモース自身は序文で、貧しい人々の家だけを取り上げても、富裕層だけを取り上げても一面的になるため、中間層の住宅を中心に記録したと説明しています。

さらに、簡素に見える家の内部に精巧な彫刻や木工が見られることも書いています。

日本家屋を単純に「貧しいから空っぽ」と片づけていたわけではありません。

むしろ興味深いのは、1880年代の時点ですでにモースが、外国人が自分たちの価値観を日本へ重ねてしまうことを気にしていた点です。

それでも「簡素な日本」というイメージは、もっと前からあった

モースが反論する相手がいたということは、その前から日本の暮らしを「簡素」と見る西洋人がいたことになります。

東京在住の翻訳家・作家Matt Altは、日本の「散らかり」を扱った2024年の長文エッセイで、その歴史を幕末までさかのぼっています。

1860年代には、英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコックが、日本で目にした家具や装飾の少なさを、西洋の物質主義とは対照的な「質素な生活」として好意的に受け止めていました。

Altは、モースがそれに対して経済条件を重視したものの、オールコックもモースも、それぞれ日本の一面から大きな一般化をしていたのではないかと論じています。

Altによれば、当時の都市には消費文化もあり、さまざまな商品や贅沢品が流通していました。

ここで話が少し変わってきます。

「日本には簡素なものがなかった」のではありません。

むしろ、欧米の人々から見て非常に印象的な「簡素な日本」が、本当に存在していたのです。

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「日本の簡素な美」は実在する。でも、それは日本人全員の部屋ではない

日本文化には、簡素さを美として扱ってきた伝統があります。

スタンフォード哲学百科事典は、日本美学の代表的な概念の一つとして「侘び(wabi)」を挙げ、「簡素で質素な美」を表すものとして説明しています。

とくに茶の湯や禅の文脈で発展してきました。

ただし、「侘び=できるだけ物を持たない生活」という意味ではありません。

豪華さを避けることはあっても、不完全さや不足の中に価値を見いだす美意識であり、現代の生活術としてのミニマリズムとそのまま同じものではありません。

Redditの建築コミュニティでも、「日本建築のミニマリズムはどこから来たのか」という質問に対して、

それは「ミニマリスト」なんじゃなくて、2000年にわたるさまざまな様式を、あなたが一つの言葉で表しているだけだと思う。

装飾の多いものもたくさんある。ただ、現代の視点から、たとえば同時代のヨーロッパ建築と比べれば、簡素に見えるものはあるかもしれない。

— u/nim_opet

という反論がありました。

実際、そのスレッドで「ミニマルな日本建築」の例として掲載されていたのは、金箔で覆われた京都の金閣でした。

簡素な茶室もあれば、きわめて装飾性の高い建築もあります。

「日本美学=削ぎ落とすこと」だけでは、もともと説明しきれません。

1950年代の米国では「日本の家」をどう紹介していた?

「簡素な日本」というイメージが20世紀半ばの米国でどう紹介されていたのか。

その一例が、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が1954~55年に公開した「Japanese Exhibition House」です。

建築家・吉村順三が設計した日本家屋を、実際にニューヨークの美術館の庭へ建てた企画でした。展示期間は1954年6月16日から1955年10月15日までで、冬季の休館を挟んで公開されました。

当時のMoMA公式パンフレットでは、日本の伝統建築について、開放的な室内、簡素な面、室内と庭との連続性などが紹介され、近代西洋建築との共通点も強調されています。

さらに資料には、「日本人は家具を使わない」とまで書かれています。

もちろん、その直後には低い机、箪笥、屏風、箱、寝具などを使うことも説明されており、それらを使用しないときには収納するため、室内を広く使えるという意味でした。

ところが、同じパンフレットを読み進めると、別の重要な説明があります。

展示された家は1953年に名古屋で建てられた新築でしたが、デザインは16~17世紀の住宅をモデルにしたもの。

そして、この形式の家を建てたのは学者、役人、僧侶などだったとされています。

つまり、歴史上の特定の住宅形式を紹介しながら、解説では「日本人は~」「日本の家は~」という大きな言葉も使われていたことになります。

展示されたものが「偽物の日本」だったわけではありません。

ただし、1950年代の平均的な日本人家庭そのものでもありませんでした。

本当に存在する日本建築の一例に、「日本人は~」「日本の家は~」という一般化された説明が添えられていた。

この構造は、今回の記事の問いともかなり重なります。

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普通の家を覗くと、景色が変わる

1990年代、日本の写真家・都築響一は、東京の普通の住まいを大量に撮影しました。

1990年から約3年間にわたって数百軒のアパートを訪ね、その写真を1993年9月刊行の『TOKYO STYLE』にまとめています。

写っているのは、モデルルームのような「余白のある日本」ではありません。

本、服、楽器、ぬいぐるみ、家具、生活用品。

人が実際に暮らしている、物の多い部屋です。

Matt Altは、この作品を海外で期待されてきた日本のミニマルなイメージとは大きく異なるものとして紹介しています。

Redditの「After Marie Kondo」というスレッドにも、1990年代に初めて日本へ来たというユーザーから、

当時メディアで見る日本は、銀座や新宿のような超都会か、寺社や庭園のような静かで質素な場所だった。

実際に来ると、狭い空間にたくさんの物を置いて暮らす人たちがいて、かなり違って見えた。

— u/jhau01

という体験談がありました。

もちろん、『TOKYO STYLE』もRedditの体験談も、日本全体の住宅を代表する統計ではありません。

「日本人の家は実は散らかっている」と逆方向へ一般化するのも、同じ間違いです。

別のRedditスレッドでも、日本の住宅について「物が多い家」を見た投稿者が「ためこみは一般的なのか」と尋ねたところ、「散らかった家と、ためこみは別だ」という反論が出ています。

住宅の広さや収納量によって、物が見えているだけでも散らかって見えることがある、という意見でした。

結局、現代の家についても「日本人はミニマリスト」「日本人は物をため込む」のどちらか一方で説明するのは難しそうです。

そして「こんまり」は、そもそもミニマリズムではなかった

現代の英語圏で、日本と「物を減らす暮らし」が結びつけられた例として外せないのが、近藤麻理恵さんです。

英語版『The Life-Changing Magic of Tidying Up』は2014年10月14日に米国で刊行されました。英語版には「The Japanese Art of Decluttering and Organizing」という副題が付けられています。

ところが、近藤さん本人の公式サイトには、そのものずばり、

「KonMari Is Not Minimalism」

というページがあります。

そこでは、ミニマリズムが「より少なく暮らす」ことを重視するのに対し、こんまりメソッドは**「何を捨てるかではなく、何を残したいか」**を考える方法だと説明しています。

大量の本や美術品、思い出の品に囲まれた生活がその人の理想なら、それも否定していません。

Redditでも、

こんまりの生活哲学は、「ミニマリズム」や「日本的なもの」として誤解されることが多い気がする。

彼女が言っているのは、自分の空間を何で満たすかを意識することだと思う。

— u/mayonuki

というコメントがありました。

英語圏でミニマリズムと結びつけて受け取られることもあった近藤さん自身が、実際には「ミニマリズムとは違う」と説明しているわけです。

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「日本=ミニマリズム」は間違いだったのか

完全な作り話だった、とするのも違いそうです。

侘びや茶の湯、余白を生かした空間、用途によって形を変える日本家屋。

欧米の人々が日本に「簡素さの美」を見いだした材料は、確かに存在します。

一方で、それをそのまま、

「日本人は普段から物を持たず、ミニマルな家で暮らしている」

まで広げると、別の話になります。

今回追ってきたのは、オールコック、モース、1950年代のMoMA、『TOKYO STYLE』、そしてこんまりと、それぞれ違う時代の事例です。

これらが一本の因果関係で直接つながっているとまでは言えません。

ただ、欧米、とくに英語圏で、日本の簡素な美意識や整理された空間が「日本らしさ」と結びつけて語られてきた例は、時代をまたいで見つかります。

そして、その横にはいつも、そこからこぼれ落ちる日本の生活がありました。

「日本=ミニマリズム」というイメージが面白いのは、それが完全な誤解だからではなく、本当に存在する日本の一面が、日本全体を説明するものへ大きく拡大されたところなのかもしれません。

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