海外の反応ブログを始めて、半年ほどになります。
もともと海外の文化や歴史、日常の習慣に興味があって、いろいろな国籍の人が集まって「自国ではこうだけど、そっちはどう?」と質問し合ったり、自分の国の文化を教え合ったりするRedditの国際コミュニティを、ブログを始めるずっと前からよく見ていました。
純粋に、知らない国の当たり前を知るのが好きだったんだと思います。
日本では特に気にせずやっていることについて、海外の人が「それって何?」と聞いていたり、逆にこちらからすると何でもないことを、別の国の人が珍しがっていたり。
そういう違いを見ているのが好きでした。
コロナ禍の頃、そんな海外掲示板のスレッドを日本語に翻訳して紹介しているブログを読んで、「こういう形で紹介する方法があるのか」と思ったのが、自分でもいつかやってみたいなと思ったきっかけです。
それからしばらく経って、本当に始めることになりました。
今は暇な時間や夜のうちに次のネタを探しておいて、朝の時間を使って一日一記事を目標に書く、というのが基本の流れになっています。
夜にRedditを見て、面白そうなスレッドを探す。
朝になったらもう一度読み返して、翻訳して、記事にする。
そんなことを半年ほど続けていると、最初の頃には気にしていなかったようなことが、だんだん気になるようになってきました。
読者が求めているのは「海外の文化」ではなく「海外から見た日本」だった
ブログを始めた頃は、読んでくれる人も自分と似たようなものだと思っていました。
自分自身が海外の文化や習慣そのものに興味があってRedditを見ていたので、ブログを読んでくれる人も、「海外にはこんな文化があるのか」ということを楽しみに来ているのだろうと思っていたんです。
ところが、記事を書いてアクセス数を見るようになると、どうも違うらしいと分かってきました。
日本にはまったく関係のない、海外の人同士の文化の違いを扱った記事は、自分ではかなり面白いと思って時間をかけて訳しても、あまり読まれない。
逆に、海外の人が日本の何かについて話している記事は、内容の濃さに関係なく読まれる。
これが一度だけなら気にしなかったと思います。
でも、似たようなことが何度も続く。
アンテナサイトからの流入も含めて記事ごとの数字を見ていると、読まれる記事にはある程度の傾向があることが分かってきました。
どうやら、多くの人が興味を持つのは「海外の文化そのもの」よりも、「海外の人から日本がどう見えているのか」のほうらしい。
自分がブログを始めたきっかけと、実際に読まれているものが違う。
これはやってみるまで分からなかったことでした。
自分では「これは面白い」と思っているのに、あまり読まれない。
逆に、そこまで期待していなかった記事がよく読まれることもある。
記事を書くようになってからは、タイトルについて悩む時間も増えました。
内容が面白いだけでは、なかなか読んでもらえない。
まずタイトルを見て、「ちょっと読んでみようかな」と思ってもらう必要がある。
ブログを始める前は、こういうことをあまり考えたことがありませんでした。
「海外では普通」という言葉が、あまり信用できなくなった
海外の掲示板を見続けていて、もう一つ変わったのが、「海外では普通」という言葉の受け取り方です。
誰かが「これは自分の国では普通だよ」と書いている。
以前なら「そうなのか」と思って、そのまま受け取っていたと思います。
でも今は、その下のコメントまで見るようになりました。
すると、「自分はそんなの見たことがない」という人がいたり、「それは地域による」と訂正する人がいたりする。
「自分のところでは昔は普通だったけど、今はあまり見ない」という人もいる。
一人のコメントだけを見ると、その国では当たり前のことに見えるのに、少し下まで読むと話が変わってくる。
こういうことを何度も見ていると、「この国ではこうなんだ」と簡単には言えなくなります。
日本でも地域や世代、家庭によって違うことはいくらでもあります。
それなのに海外の話になると、「アメリカでは」「ヨーロッパでは」と国単位で考えてしまう。
記事を書くときも、できるだけ主語を大きくしないように気をつけるようになりました。
「海外ではこう」
とするより、
「この人はこう話している」
くらいから始めたほうが、実際に見ているものに近いことも多い。
海外の掲示板を毎日のように見ていると、そんなことを考えるようになります。
翻訳より「前後の空気感」が気になるようになった
翻訳に対する感覚も、始めた頃とは少し変わりました。
最初は英文を読んで、日本語として誰でも簡単に読めるように訳すことばかり考えていました。
今は、そのコメントがどういう流れで書かれたものなのかのほうが気になります。
同じ言葉でも、前後のやり取りによって意味が変わることがあります。
ただの冗談なのか、本気なのか。
そのコミュニティではよく知られているミームなのか。
誰かのコメントに対する皮肉なのか。
一文だけ取り出すと、まったく違う意味に見えてしまうこともあります。
なので、翻訳するコメントだけを見ることが少なくなりました。
その前後を読んで、さらにその前のやり取りを読んでいるうちに、気づけばスレッドをかなり遡っている。
朝の限られた時間で一記事を書いていると、こういうところに時間を取られるのは正直焦ります。
「この一文だけならすぐ訳せるのに」と思いながら、結局その一文が何を意味しているのか調べている。
でも、ここを適当にすると、元のコメントが言いたかったことと違うものになってしまうこともあるので、なかなか省けません。
最近は、翻訳するというより、その場でどんな会話がされていたのかを追いかけているような感覚になることもあります。
記事にならない寄り道が、いつの間にか好きになっていた
ネタを探している夜の時間は、とにかく脱線が増えました。
コメントの中に知らない言葉が出てくる。
調べる。
その説明の中に、また知らないものが出てくる。
また調べる。
そうしているうちに、最初に開いたスレッドとはまったく関係のない海外のローカルな話を読んでいる。
気づいたら、最初は何を探していたのか分からなくなっていることもあります。
朝の執筆時間を圧迫するので、ブログを書くという意味ではあまり効率のいい時間の使い方ではありません。
それでも、この寄り道が結構好きです。
記事になるかどうかも分からない。
アクセスが来るかどうかも分からない。
ただ、知らないものを見つけて、「こんなものがあるのか」と思って調べる。
もともと海外の文化や歴史に興味があったので、こういうことは苦になりません。
むしろ、記事のネタを探している時間より、こういう寄り道をしている時間のほうが楽しいこともあります。
ネットに書かれていることが、その国のすべてではありません。
そこにいる人たちの一部分しか見ていないし、そもそも掲示板に書き込む人たち自体が、その国の中では偏った存在かもしれない。
それでも、誰かが何気なく書いた一言から、その人が暮らしている場所の生活が少し見えてくることがあります。
観光地でも、ニュースでもない。
本人にとっては、わざわざ誰かに教えるほどでもないような話。
そういう小さな話を読んでいるほうが、その場所のことを身近に感じることもあります。
半年続けてみて
一日一記事という目標も、始めた頃はいつまで続くのかなと思っていました。
夜のうちにネタを探して、朝起きたらもう一度スレッドを読む。
翻訳して、文章を整えて、記事にする。
それが終わったら、また次の日のネタを探す。
半年続けてみると、最初の頃とは少しだけ、海外掲示板の見え方も変わってきました。
以前なら「面白い話だな」で終わっていたところで、「この人は、どうしてそう思うんだろう」と気になる。
一つのコメントだけでなく、その前後を見る。
その人が暮らしている地域を調べる。
分からない言葉があれば検索する。
そうしているうちに、最初に見ていた話とは関係のないところまで行ってしまう。
ブログを始めたことで、海外について詳しくなったというより、知らないものをそのままにしておかなくなった、というほうが近いのかもしれません。
そして、自分が面白いと思うものと、読んでいる人が面白いと思うものは、案外違うということも分かりました。
これはアクセス数を見ながら何度も感じています。
ただ、だからといって、自分が興味を持てないものを探しているわけでもありません。
もともと好きだった海外の文化や習慣を眺めて、その中から日本に関係する面白そうなものを拾ってくる。
その途中で、関係のない話に脱線する。
気づけば朝になっている。
今は、そんなことを繰り返しています。
コロナ禍の頃にほかの人のブログを読んで、「こういう形で紹介する方法があるのか」と思ったところから始まったブログが、半年後には朝の習慣になっています。
始めた頃は、まさか毎朝海外掲示板を読んで、翻訳して、記事を書く生活になるとは思っていませんでした。
アクセスを気にしたり、タイトルに悩んだり、思ったより翻訳に時間がかかったり。
ブログを始めたことで、以前なら知らなかったことまで調べるようになりました。
でも、結局のところ、一番最初にRedditを見ていた理由は今もあまり変わっていません。
知らない国の人が、自分たちにとっては当たり前のことを話している。
それを見て、「そんなものがあるのか」と思う。
気になったら調べる。
そして、また知らないものが出てくる。
たぶん、この繰り返しが面白いんだと思います。
半年続けてみても、まだ知らないことのほうが圧倒的に多い。
だから、しばらくはこのまま、夜になったらまたRedditを開いているんじゃないかなと思います。