「日本が好き」と「日本人だから自分もすごい」は同じなのか? 海外の反応と心理学から考える“日本人の誇り”

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(最終更新日:2026年9月8日)

日本人選手が海外で活躍すると、少し誇らしい気持ちになることがあります。

オリンピックで日本代表が勝つ。日本人がノーベル賞を受賞する。日本のアニメやゲーム、食文化が海外で高く評価される。外国人が「日本が好きだ」と話しているのを見るのも、悪い気はしません。

自分がその成果に直接関わったわけではない。それでも、なぜか嬉しい。

Redditのr/AskAJapaneseで、日本の愛国心について尋ねられた際、ある投稿者は自分の感覚をこう説明していました。

私たちは、同じ程度でも、同じ形でも愛国的ではないと思う。

国旗を掲げたり、国歌を歌ったり、「Japan First!」と言ったり、「Make Japan Great Again」と書かれた帽子をかぶったりはしない。普段の生活では、日本のこと自体ほとんど考えていない。それが私たちではない。

でも、空港で日本代表の選手を見れば、勝って日本を立派に代表してほしいと思う。オリンピックで金メダルを取り、国歌が流れて国旗が上がれば誇らしく思う。日本人がノーベル賞を取ったと聞けば誇らしい。他国で外国人に会い、「日本が好きだ」と、その理由まで話してくれれば嬉しく、誇らしく思う。旅行中には、日本や日本社会、日本文化が恋しくなることも多い。日本人が他国で恥ずかしいことをすれば、自分も恥ずかしく感じる。

では、それを他人に話したり、新聞を振り回したり、SNSに投稿したり、ニュースを聞いたあともずっと考え続けるほど誇りに思っているのか? いや、そこまではしない。でも、日本人や日本、私たちがしてきたこと、私たちが何者であるかを誇りには思っている。ただ、それに執着しているわけでもない。

多くの人は少なくともこの一部には同意すると思う。たぶん、ほとんどの国の多くの人がこう感じていると思う。

「日本人として誇らしい」という言葉だけを取り出せば、強い愛国心のようにも見えます。

でも、この人が話しているのは、誰かより日本人のほうが上だということではありません。日本人が成功すれば嬉しいし、自分の国を好意的に見られれば誇らしい。ただ、それに執着しているわけではない。

では、この感情と「日本人だから自分もすごい」は、どこまで同じなのでしょうか。

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日本人の成功を、自分まで嬉しく感じるのは不思議なのか

考えてみれば、こうした感覚は国籍だけに起こるものでもありません。

自分の母校が大会で勝てば嬉しいし、地元のチームが優勝すれば誇らしい。自分が試合に出たわけではなくても、そこに「自分とつながっている場所」を感じれば、その成功を喜ぶことがあります。

社会心理学では、人が自分を一人の個人としてだけでなく、学校や地域、国など、自分が属する集団の一員としても捉えることが研究されてきました。

そう考えれば、日本代表が勝って「日本人として嬉しい」と感じること自体は、それほど奇妙ではありません。

ただし、誰かの成功を同じ集団の一員として喜ぶことと、その成功によって自分自身の能力や価値まで高くなったと考えることは別です。

大谷翔平がホームランを打って嬉しいからといって、自分の野球までうまくなったわけではありません。

当たり前のようですが、国の話になると、この境目は少し見えにくくなります。

「日本が好き」と「日本人だから自分もすごい」は、やはり同じではない

「日本人選手が活躍して嬉しい」

「日本人ってすごいな」

「日本人であることを誇りに思う」

いずれも日本への帰属や誇りと結びつきやすい言葉ですが、まったく同じ意味ではありません。

「日本人選手が活躍して嬉しい」には、個人への応援だけでなく、同じ国の一員としての喜びが含まれることもあります。「日本人ってすごいな」となれば、個人の成果を日本人という集団へ広げています。「日本人であることを誇りに思う」は、自分自身の所属についての感情です。

では、

「日本人である自分も、他国の人よりすごい」

となったらどうでしょう。

さらに、

「日本人は他国の人より優れている」

「日本を評価しない外国人は見る目がない」

となれば、また意味が変わってきます。

もちろん、人がこの順番で変化していくという話ではありません。「日本人ってすごい」とSNSに書いただけで、その人が外国人を見下していると判断することもできません。

実際の発言が単なる喜びなのか、他国との比較や優越意識まで含んでいるのかは、その言葉だけでは分からないこともあります。

「日本が好き」という気持ちと、「日本人だから他国の人より上だ」という考えまで、全部まとめて「愛国心」と呼んでしまうと、話が見えにくくなります。

心理学でも「国が好き」と「他国より優れている」は分けられている

ここまで見てきた違いは、心理学の研究でも分けて考えられています。

簡単に言えば、「自分の国が好き」という気持ちと、「自分の国は他国より優れている」という考えは、同じものではないということです。

日本人の国家意識を調べた心理学者・唐沢穣の研究でも、この二つは別々の態度として確認されています。

この研究では、「祖国への愛」をpatriotism、「他国に対する自国の優越性への信念」をnationalismとして区別しています。さらに、自分の国への愛着が強いことと、他の集団を低く見ることも、同じものとしては扱われていません。

専門用語を抜きにすれば、

「日本が好き」

と、

「日本は他国より上だ」

の間には、きちんと線を引いて考えたほうがいい、ということです。

もう一つ、この違いを考える手がかりになる研究があります。

ここから紹介するのは、一般的な愛国心とは別の、かなり限定された心理学上の概念です。

心理学にはCollective Narcissism、日本語では「集団ナルシシズム」と呼ばれる概念があります。

名前だけ聞くと少し難しそうですが、ここでいうのは、自分が属する集団を特別に高く評価し、その価値が周囲から十分に認められていないと強く感じる傾向です。

当時ミドルセックス大学の心理学部門に所属していたGolec de Zavalaらの2009年の研究では、こうした傾向が、他の集団に対する攻撃的な態度と結びつく場合があることが示されました。

ただし、ここは注意が必要です。

日本を好きだから集団ナルシシズムなのではありません。

日本人選手が勝って嬉しい。日本文化を誇らしく思う。外国人から日本を褒められて嬉しい。そうした気持ちだけで、この心理学用語を当てはめることはできません。

後の研究でも、自分の集団を肯定的に見ることと、「自分たちの集団は特別に優れていて、それをもっと認められるべきだ」と考えることは区別されています。

同じように、外国人への批判や政策への反対を、すべて「外国人を下げて自分の価値を保とうとしている」と説明することもできません。

政策そのものへの不満もあれば、特定の行動に対する批判もあります。

心理学の研究は、「こういう違いを考えることができます」と教えてくれるものです。一つのSNS投稿を見ただけで、その人の心の中まで診断するための道具ではありません。

そのうえで分かりやすいのが、他の国との比較が入ってきた場合です。

「日本の鉄道は時間に正確で便利だ」という評価と、そこから日本人全体と他国の人々の優劣まで語ることは別です。

「日本の治安が良い」と感じることと、そこから他国やそこに暮らす人々の価値まで低く評価することも別です。

自国の長所を評価することと、そこから他国との優劣まで判断することは、分けて考えられます。

他国を低く置くことで初めて自国の価値を確認できるのだとすれば、そこには単純な「日本が好き」とは違うものも混ざっている可能性があります。

なぜ「日本はすごい」より「外国人が日本を褒めた」が記事になるのか

ここで、日本のネットでよく見かける形式を思い出します。

「外国人が日本食を絶賛した」

「外国人が日本の鉄道に驚いた」

「海外で日本文化が高く評価された」

といった動画や記事です。

このサイトも海外の反応を扱っているので、まったく他人事ではありません。

「日本の鉄道にはこういう良さがある」と紹介するのと、「外国人も日本の鉄道を評価している」と紹介するのでは、少し構図が違います。

後者には、自分たちではない人からの評価が加わります。

だからといって、それを見る人が「外国人に褒められないと日本に自信を持てない」という意味ではありません。

自分の好きな作品を海外の人も気に入っていれば嬉しい。日本では当たり前だと思っていたものを、外から来た人が別の角度から評価しているのを見る楽しさもあります。

それでも、「日本のここが良い」だけでなく「外国人もそう言っている」が一つの価値になるのは、少し考えてみる余地があります。

自分たちで自分たちを評価することと、外から認められることは同じではありません。

少なくとも、「日本にはこんな良さがある」という自己評価に、「自分たちとは違う立場の人からもそう見えている」という確認が加わる点では、受け取り方も少し変わります。

では、なぜこの話が「日本人としての誇り」と、その先にあるネット上の日本像につながるのでしょうか。

ここまでは、「自分が日本や日本人をどう感じるのか」という話をしてきました。

でも、その感覚は自分の内側だけで作られているとは限りません。今では、「外国人が日本をどう評価しているのか」「日本人は外国人をどう見ているのか」といった情報も、SNSやネット記事を通して何度も目にします。

そこで次に考えたいのが、ネット上で繰り返し見る「日本」が、私たちの日本像にどこまで影響しているのかという別の問題です。

これは「日本人としての誇り」と同じ現象ではありません。ただ、外から日本がどう見られているのかを考えるうえでは、関係してくる部分があります。

SNSを見続けたら、目の前の日本人まで怖くなった

2026年8月、在住外国人が集まるコミュニティr/japanresidentsに“Foreigner hate fatigue”というスレッドが立ちました。

投稿者はこう書いています。

SNSには偽情報があふれていて、おそらくボットによる活動もかなりあり、外国人や移民に反対する感情を絶えず押し出している。とうとう外で日本人を見かけるたびに、「自分が外国人だからというだけで、この人も自分を悪く見ているんじゃないか」と考えてしまうようになった。

正直、その不安が完全に根拠のないものだとも思えない。一般の人たちがネット上で外国人についての誤った情報を絶えず浴びせられ、それに極右からの圧力の高まりまで加われば、実際に外国人へ否定的な感情を持ち始める人が出てきても驚かない。

ボット活動や政治的な影響については、この投稿者自身の推測が含まれています。

ただ、気になるのは前半です。

SNSの中で繰り返し見た「外国人を嫌う日本人」という像が、まだ何も話していない目の前の日本人にまで重ねられています。

同じスレッドでは、地域社会での経験はまったく違うという人もいました。

SNSから離れて、自分の地域に出て、人と話してみればいい。

ネットでは憎悪や反外国人の言説ばかり目にする。でも現実では、自分の地域の人たちは親切で、受け入れてくれて、こちらにとても興味を持ってくれる人ばかりだ。

もちろん、こちらも一人の経験です。

このコメントから「日本には外国人差別がない」とは言えません。

それでも、ネットで見える日本と、自分が暮らしている日本が違うという経験をしている人がいることは分かります。

そして同じスレッドには、向きが正反対のこんな反応までありました。

面白いね。自分は逆に、Redditで外国人が日本人を嫌っているのを見ることに疲れている。どうやら二人ともネットを離れたほうがよさそうだ。

一人は「日本人から嫌われているように感じる」。

もう一人は「外国人が日本人を嫌っている投稿に疲れた」。

見えている世界は逆なのに、「ネットを見ているうちに、相手側から敵意を向けられているように感じる」というところでは似ています。

「日本最高」と「日本最悪」は、違う話でも似た見え方をすることがある

別の日本関連スレッドでは、日本に20年以上暮らしているという参加者が、こんな印象を書いていました。

間違っているかもしれないけど、日本関連のサブレを見ていると、何でもかんでも文句を言う人か、日本を完全に非現実的なほど高く評価する人か、そのどちらかという印象を受ける。どちらかの極端で、自分から見ると両方ともかなり間違っている。

それに、なぜかネットに投稿するとかなり攻撃的になる人も多い。

私は20年以上ここに住んでいて、何か起きない限り残りの人生もここで暮らすつもりだ。でも、どれだけ長く住んでも完全に溶け込むことはない。それでいい。自分ではない何かのふりをする必要はないから。

日本には大好きなところもたくさんあるし、大嫌いなところもたくさんある。どの国に住んでいたとしても、まったく同じだと思う。

「日本最高」と「日本最悪」。

ネット上では対立する二つの立場ですが、ここで両者を「同じもの」と考える必要はありません。

日本を高く評価する外国人は実際にいますし、日本で差別を経験した人や、観光客の増加、外国人政策、地域での摩擦などに不満を持つ人もいます。そこで語られている出来事や感情そのものまで、ネットが作り出した幻だと片づけることはできません。

似ている可能性があるのは、別のところです。

一部の投稿を何度も見ているうちに、「日本人はみんなこうだ」「外国人はみんなこう思っている」と感じてしまうことです。

日本を絶賛する投稿ばかり見ていれば、「外国人は日本をみんな高く評価している」ように思えるかもしれません。

反外国人投稿ばかり見ていれば、「日本人は外国人を嫌っている」ように感じるかもしれない。

日本への不満が集まる場所ばかり読んでいれば、「日本で暮らす外国人は日本にうんざりしている」ように見えることもあります。

そうした投稿や感情がネット上に存在することは確かです。

ただ、それが社会全体を代表しているとは限りません。

ネットでは、社会全体が実際より怒って見えることがある

では、ネット上で同じような投稿を何度も見ているとき、私たちはどこまでそれを社会全体の姿として受け取っているのでしょうか。

この点について、SNS上の「怒り」を調べた研究があります。

ノースウェスタン大学などのWilliam J. Bradyらは、Twitterに投稿した本人が実際にどれくらい怒っていたのかと、その投稿を読んだ人が「この人はどれくらい怒っている」と感じたのかを比べました。

すると、読む側は、書いた本人が感じていた以上に強い怒りを読み取る傾向がありました。

さらに、一人一人の怒りを強く見積もるほど、

「この集団は全体的に怒っている」

「相手側とは敵対している」

と感じやすくなることも示されました。

たとえば、反外国人の強い投稿を続けて見れば、「日本人は外国人にかなり怒っている」と感じるかもしれません。

反対に、日本への強い批判ばかり見ていれば、「外国人は日本人を嫌っている」と感じることもあります。

ただし、ここから「SNSを見ていると人は必ず過激になる」と考えるのも早すぎます。

ダートマス大学の政治学者Brendan Nyhanら、2020年のアメリカ大統領選の時期に、2万人を超えるFacebook利用者を対象とした実験を行いました。

実験では、自分と政治的に近い情報源からの投稿が表示される量を減らしました。その結果、異なる政治的立場の情報源に触れる機会も少し増えています。

それでも、政治的な相手への感情や、自分の考えの極端さなどには、はっきりした変化が確認されませんでした。

つまり、

「同じ意見ばかり見る」

「その人自身がどんどん過激になる」

と単純には言えないということです。

一方で、何を繰り返し見るかによって、「世の中ではこの意見が多い」「この集団はみんな怒っている」と感じることはあります。

ここで分けて考えたいのは、現実に問題が存在するかどうかと、その問題が社会全体でどのくらい広がっているように見えるかです。

SNS研究から、日本に差別や外国人との摩擦が存在しないとは言えません。

反対に、ネットで強い言葉を何度も見たからといって、それだけで社会全体が同じ方向へ動いているとも判断できません。

今回の記事で考えたいのも、まさにその違いです。

「外国人嫌い」の一言では捉えきれない日本人の意識

ここでネットを離れて、日本社会全体に近い数字を見てみます。

内閣府が2025年10~11月に実施した「社会意識に関する世論調査」では、他の人と比べて「国を愛する気持ち」が強いほうだと答えた人は52.4%でした。

今後「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」とした人も84.5%います。

ただ、これは愛国心について尋ねた調査です。

「日本人は他国の人より優れていると思うか」でも、「外国人を嫌っているか」でもありません。

この数字から、日本人の半数以上が排外的だと考えることはできません。反対に、この数字から日本社会が外国人に寛容だと判断することもできません。

外国人との共生について尋ねた出入国在留管理庁の調査では、別の組み合わせが見えてきます。

共生社会の実現に向けて外国人にしてほしいこととして、「日本の習慣、生活ルールを守るようにする」を挙げた人は77.5%でした。

その一方で、自分自身ができることとして最も多かったのは、「外国人に対する差別意識を持たないようにする」の66.2%です。

なお、この調査は2023年10月17日から11月30日に、日本国籍を持つ18歳以上を対象に行われ、有効回答は4424件でした。

「日本のルールは守ってほしい」という意識と、「外国人に対する差別意識を持たないようにする」という回答が、同じ調査の中に見られます。

ただ、この二つの数字だけを見て、「日本人は外国人に対してバランスの取れた考えを持っている」と結論づけることもできません。

同じ人がこの二つの項目を選んだのかは、集計された数字だけでは分かりませんし、外国人の受け入れ政策に賛成なのか反対なのか、どんなことに不安を感じているのかまで読み取ることもできません。

ここから分かるのは、外国人についての考え方は、「歓迎しているか、嫌っているか」の二択だけでは説明しきれない、ということまででしょう。

ネット上の声も、公的調査の数字も、それぞれ見せてくれるのは社会の一部分です。

もう一度、「日本人として誇らしい」を考えてみる

ここまで見てきたことを、最初の問いに戻してみます。

日本人選手が活躍して嬉しい。日本文化が評価されて誇らしい。外国人から日本を褒められて嬉しい。

こうした気持ちと、「自分たちのほうが他国の人より上だ」という考えは、分けて考えることができます。

もちろん、一つの投稿だけを見て、その人の誇りが優越感なのか、外国人への批判が排外意識なのかまで決めることはできません。研究から分かるのは、そうした感情や態度を同じものとして扱わず、分けて考えられるということです。

そのうえで、問いは残ります。

日本の良さを語るために、他国を低く評価する必要まであるのでしょうか。

誰かの功績を同じ国の一員として喜ぶことと、その功績によって自分自身の価値まで高くなると考えることは、本当に同じなのでしょうか。

日本が好きであることまで、否定する必要はない

この記事では、「日本人として誇らしい」という身近な感情と、ネット上に作られるさまざまな「日本」の姿を見てきました。

この二つは同じ現象ではありません。

けれど、どちらにも、自分たちの集団をどう見るのか、そして他の集団をどう見るのかという問いがあります。

「日本すごい」を毎日見ている人と、「日本は最悪」を毎日見ている人も、同じ考えを持っているわけではありません。現実に根拠のある不満もあれば、現実に日本を高く評価する声もあります。

それでも、目の前に繰り返し現れる情報を、そのまま社会全体の姿だと思ってよいのかという問いは残ります。

日本人選手が勝ったら嬉しい。日本文化を好きでいてもいいし、日本人であることを誇らしく感じてもいい。

ただ、日本の良さを語るために他国の悪さを必要とするのか。

誰かの成功を喜ぶことと、その成功を自分自身の優越性へ変えることは同じなのか。

そこは、一度分けて考えてみてもよさそうです。

「日本が好き」という気持ちは、誰かより上であることまで証明しなくても成立するのですから。

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